市長の日記 7(2025.4)
更新日:2025年03月26日
市長の日記 7
昨年元日の能登半島地震で本市に、いくつかの地域で液状化の被害がでました。そのうちの一つに的場町、本町があります。本念寺に接する俗称闇市通りの北側は公費解体が進み、大きな一画地が数棟を残すのみの空き地となっています。横の一画地も半分近くの家屋が解体されています。歩く道路も応急復旧はされているものの歪みが感じられます。小路へ入るとやはりここも空き地が目立ちます。的場会館の十字路は道路に埋設された排水ボックスが液状化現象によって浮き上がり、大きな段差ができています。以前的場町に15年ほど住んでいたことがあります
が、その時との様変わりに驚きを隠せません。
的場会館から本町へ入ると観音寺の裏にある中ノ島公園の擁壁が大きく陥没しています。接する道路の側溝も大きく傾斜しています。小学生のころに観音寺の裏に小河川があった覚えがあります。この周辺は北通り線も整備された中ノ島区画整理事業が行われ、昭和52年に大川町から本町に町名が変更されました。区画整理される以前は川渕と言われ、羽咋病院へ行く子浦川にぶらぶら橋とよばれた木造の橋が架かっていました。
羽咋病院が建設される前はこの橋を渡り中洲へ行って羽咋川の土手でシジミを採っていました。年配の方の話では、以前的場町は田んぼであり観音寺の周りは山になっていたそうです。その山を削った砂で田んぼを埋め立てたとか。また、的場に弓を射る場があったから的場という町名がついたとの説もあります。
このような歴史を経たまちが地震で一瞬に変わり果ててしまいましたが、昔の街並みに戻るよう全力で復旧を進めていきます。
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