西村 忠兵衛
西村 忠兵衛(にしむら ちゅうべえ)
文政2年(1819)羽咋郡千田村(現千田町)に生まれ、文政8年(1825)一ノ宮村の百姓・西村忠左衛門の養子となる。
天保5年(1834)大坂に本拠を持つ同村出身の問屋・綿屋喜兵衛が所有する北前船の水夫となる。23歳で船頭となるが、船を焼失し、降格。弘化2~3年(1845~46)頃、船頭として返り咲き、滝屋神社に鳥居を寄進したり、義父の墓を建立したりする。
文久2年(1862)に「西村屋」として独立。以後、北海道厚岸(あつけし)・函館と阿波国撫養(むや・現鳴門市)の出店を窓口に、いわゆる北前船交易に従事し、特にニシン〆粕(しめかす)の売買で巨利を得た。明治11年(1878)大阪の北海道産物荷受問屋「一番組」に加入、西道頓堀に本拠を置き、明治17年(1884)には和船10余隻・洋船3隻を数えた。
明治18年(1885)67歳で没した。
その後長子忠左衛門が大いに事業を拡大するが、近代的な運輸・通信業の発達により衰退し、明治38年(1905)大阪店を閉鎖する。
年号 | 西暦 | できごと | |
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文政2 | 1819 | 羽咋郡千田村の安田家にて生まれる | |
文政8 | 1825 | 西村忠左衛門の養子となる | |
天保5 | 1834 | 一ノ宮村平戸善六の口利きで、大坂綿屋喜兵衛の北前船水夫となる | |
天保9 | 1838 | 平戸善六の娘カノと結婚 | |
天保10 | 1839 | 長男・忠五郎(二代目忠左衛門)生まれる | |
天保12 | 1841 | この頃、船頭となる | |
弘化3 | 1846 | 「大栄丸船頭忠兵衛」名で綿屋とともに一ノ宮村滝屋神社に石鳥居を寄進 | |
嘉永2 | 1849 | 義父の墓を妙成寺に建立 | |
文久2 | 1862 | 西村屋を名乗り、独立 | |
慶応元 | 1865 | 浜谷おリョウが内儀として大坂店に住まう。能登を本家とし、大坂を分家とする | |
明治4 | 1871 | 旧主家ともいえる綿屋が事業解散 | |
明治8 | 1875 | 西村屋船数隻、暴風高浪のため破船 | |
明治16 | 1883 | この頃、西洋型帆船第二常平丸を購入し、和船10数隻、洋船3隻を所有 | |
明治18 | 1885 | 忠兵衛、死去。享年67歳 | |
明治35 | 1902 | 忠左衛門、死去。享年64歳 | |
明治38 | 1905 | 西村屋大阪店閉鎖 |
更新日:2020年01月14日