山本 映佑

山本 映佑(やまもと えいすけ)

 
山本 映佑

 
昭和10年(1935)、東京北千束でパン屋を営む山本芳雄・美枝夫婦の二男として生まれる。本名、映之輔。
昭和20年(1945)、山本家に同居していた得猪(とくい)そと子のつてで、一家は石川県鹿島郡余喜村酒井(現羽咋市酒井町)に疎開。
昭和21年(1946)、疎開生活の様子を綴った映佑の作文を、得猪が児童雑誌『赤とんぼ』に投稿。選者の川端康成に推賞され、新聞やラジオで紹介されるなど脚光を浴びる。
昭和23年(1948)、『赤とんぼ』掲載の作文が綴り方集『風の子』として出版される。
さらに山本嘉次郎監督による『風の子』の映画化も決まり、酒井でロケが行われ、昭和24年(1949)2月に全国で封切りされた。
昭和25年(1950)、父・芳雄の復員により一家は東京へ戻り、その後、北海道へと移住。
成長後は人間社会と関係の深い動物の行動学に興味をもち、野外自然案内人のかたわら、釣や猟の随筆やレポートを執筆する。
 

山本映佑年表
年号 西暦   できごと
昭和10 1935 2月3日 東京都大田区北千束に生まれる
昭和18 1943 6月 新潟県見附市へ疎開
昭和20 1945 7月 石川県鹿島郡余喜村酒井へ疎開
昭和21 1946 5月頃 得猪そと子が、映佑の作文を児童雑誌『赤とんぼ』に投稿
    9月 NHKラジオで紹介される
昭和23 1948 9月11日 山本嘉次郎監督 映画「風の子」の酒井ロケが始まる
    11月 綴り方集『風の子』出版。第2回北國文化賞を受賞
昭和24 1949 2月 映画「風の子」が全国で封切り
昭和25 1950 2月 東京にもどり、その後、北海道砂川に移る
    9月 『続風の子 引越物語』出版
昭和63 1988 9月30日 『カラスの勝手はゆるさない』出版
平成9 1997 1月 死去。享年62歳

 

更新日:2020年01月14日