奈良時代、現在の柳田町に塔を持つ寺院が存在
更新日:2018年11月27日
~大伴家持も見た?古代仏教寺院のシンボル~
柳田シャコデ廃寺跡の調査地
塔が存在していたと推定される場所を特定
幢幡が掲げられていたと考えられる柱穴(写真で説明員が入っている場所)
市が平成26年度から発掘調査を行っている“柳田シャコデ廃寺跡”。11月25日、柳田町の現地で、この5年間の調査でわかった内容が報告されました。
昭和4年、この遺跡にあった塔心礎石(とうしんそいし)が、地元の人々により柳田町の善正寺に手水石として寄進・移設されました。塔心礎石は、塔の心柱(しんばしら)を支える巨大な礎石を指します。このことから、元々、この場所には、塔が建っていたと推測されます。その周辺には講堂や金堂などの施設による寺院伽藍があったと考えられ、その全容を明らかにすることが、この調査を行うきっかけとなりました。
今回の調査で、この遺跡は、8・9世紀を中心とする古代の寺院跡で、奈良時代の羽咋にも確実に仏教が伝わり、塔を備える寺院が建っていたことが明らかになりました。すぐ近くには“古代の神まつり”の様子を伝える史跡寺家遺跡があり、両者は同じ時代に併存していたことになります。両遺跡を研究することで、古代の羽咋の「神と仏」の関係が明らかになっていきます。
説明会では、塔あとの西と東に設定した調査区について、それぞれ調査結果が報告され、西区では、等間隔で2列の柱穴が確認され、掘立柱塀や回廊がある建物が建てられていた可能性があったことが指摘されました。
東区でも、2列の非常に深い柱穴が確認され、なかには1.2メートル以上の深さのものもあることから、“幢幡(どうばん)”と呼ばれる長大な旗を立てる支柱であった可能性が示されました。
市文化財課の学芸員は「西暦748年に大伴家持が羽咋を訪れ、古代の気多大社を参拝しており、その時、家持はここにあった塔を見たと考えられる。そういった歴史的背景も考察しつつ、この古代寺院の全体像を解明するため、今後も慎重に調査を進めたい」と話します。
なお、シャコデとは、地元の小字で“釈迦堂”を意味し、元々、この地に寺院があったことが地名として伝わっていたことから付けられた遺跡名であるそうです。
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